さくら


さくらは今がちょうど見頃と言って良さそうだった。
ほとんどの木が満開で見事に咲き誇っていた。見える限りの桜並木が全て満開なのは一種圧巻だった。
まるで見ろとばかりに咲き乱れる桜の下を俺たちは並んで歩いた。
知らず、誰もが無言になる。あちこちでは花見客がシートを広げ、花より団子とばかりに花見そっちのけでバーベキューをしたり、屋台で買ってきたらしい食べ物を広げていた。
花見客の賑やかな声も、いろんなところから聞こえる屋台の威勢のいい売り声も、みんな同じように桜を彩っていた。

普段は賑やかなのは苦手な方だが、こういった華やかさはなんとなく嫌いにはなれない。
俺は瞬も来れたらよかったのに、なんて、不意に思ってしまった。
あいつはいつも土日関係なく学校があるから、なかなかこういったときに一緒には来れない。寂しいなんて思わない。でも、こうしてふと思い出したときに残念な気持ちになるんだ。
見せてやりたかった、そう思ってしまうから。この見事な桜並木も、花見客のみんな満足そうな幸せそうな顔も。
可哀想だなんて言えない。あいつは、瞬は休む間もなく勉強しなくてはならないから。なまじ頭が良いだけに、あいつの実力以上に期待されてしまうこともある。
でも、瞬はそれに応えてしまう。実力で無理なら、努力で勝ち得てしまう。そして期待に一度応えれば、次は更なる要望を突きつけられてしまう。
俺はそんな瞬を見守ることしか出来ない。絶対に手伝ったりなんかできやしない。足手まといになるだけだ。

...一緒に来よう。夜桜でもいい。息抜きに連れてきてあげたい。それが俺の思い込みでもいい。あいつに見せてやりたい。




「蓮!?」

ふっと現実に引き戻された。

「...比呂。」

「.......。」

比呂は無言で俺の顔を見つめた後、俺の髪をくしゃっと掻き混ぜた。

「...比呂?」

「もっと楽しめ。」

それだけ言うと、前を歩いていた女の子二人のもとへ歩き出した。
俺はしばらく惚けてその背を眺めていたが、慌てて後を追った。





比呂は気づいているのだ。蓮の気持ちに。
最初に出会ったときからずっと。





「比呂!遅い!」

比呂が瀬崎に怒られていた。
...それ俺のせいなんだけど。とは言えない。言わしてくれないから。
比呂はいつも俺を庇うから。

「綾瀬くん、何か飲む?」

いつのまにか隣にいた早川が、声をかけてくれた。
手にはペットボトルのお茶が握られていた。

「あ、うん。そうだな、なんか買ってこようかな。」

ふと目を逸らせると飲み物を売っている屋台が目に入った。

「これ、...飲む?」

そういって、持っていたペットボトルを差し出した。

「いいのか?」

顔を赤らめて、差し出されたペットボトル。なんだか断ってはいけない気がした。
好意を踏みにじってしまってはいけない、そんな気がした。

「綾瀬くんが、いいなら...。」

「そっか、じゃあもらうよ。」

そういってペットボトルを受け取った。

「あ、蓮、でいいよ。」

「え?」

「綾瀬くん、ってくすぐったいからさ。」

苦笑いしながら早川を見る。

「...う、ん。わかった。」

驚いた顔ながらも肯いてくれた早川を見て、それからさっきもらったお茶を一口飲んだ。
ペットボトルを返して、ふと道の先を見ると遠くのほうで比呂と瀬崎がこちらを見ていた。光りの加減で顔を伺い知ることは出来なかったけれど。

「じゃあ行こうか。二人とも待ってるみたいだし。」

「うん。」

早川は今日一番のいい笑顔を見せてくれた。


向こうのほうで二人がどんな会話を交わしてるかなんて、俺たちは二人とも知ることはなかった。







「...いいのかよ。」

「何が。」

比呂は春子に向かって聞きはしたけれど、答えることなんて出来るはずがなかった。

「あんたも同じでしょ。」

自覚はあった。だから答えられない。

「...うるせ。」

二人は似たもの同志。同じ痛みを抱えている。





桜並木を通り過ぎ奥まったところにある鳥居が見えてきた。
今日の目的地、「妙見神宮」。ここまで来るとあんまり人影がない。

「さて、ここからが本番だな。」

比呂は誰にともなく独り言ちた。
俺たちの目の前には、見上げるほどに長い石段が待ち受けていた。それは途中から木に遮られて先が見えない。

「まぁ、途中に休憩所もあるから大丈夫でしょ。」

誰かを心配して瀬崎も呟いた。



そうして俺たちはこの目の前の難関に取り組み始めたのだ。先頭に比呂、二番目に早川、次に瀬崎、そして最後が俺。
運動系は得意ではない早川を全面的にサポートする構えだ。

石段は伝説では千段あると言われている。いちいち数えるような稀有なやつは俺たちの周りは愚か、この町の人間の中にはいないらしく正確なところは分からない。
実際はそんなにはないだろうけど、この石段を登っているとそのくらい軽くある気がしてくるから不思議だ。
そして一段一段がすこしばかり高くなっている。ところどころ欠けていたりもするので、やはり女の子には厳しい道程だろう。
女の子だけではなくお年寄りにも厳しいと、近年ではコンクリートの歩きやすい階段に改装するように求める声も上がっているらしい。

反対にこの石段は伝説の石段であり、古くからこの町を見守ってきたものであるから補修するならともかく、なくしてしまうのはどうか、という声もあるらしい。

実際のところ俺たちはその辺の議論には興味はない。目下のところ、時々石段に蹴躓き、転びそうになる早川を無事に安全なところまで登らせることのほうが、俺たちにとっては重要な案件であった。


「なんとかここまでは来れたな。」

一つ溜め息を吐いて今まで登ってきた階段を振り返る。
早川は休憩所のベンチに座って瀬崎に背中を擦られていた。

「大丈夫?美空。」

「はぁ、はぁ、うん、...。だ、だい、じょうぶ。」

...あんまり大丈夫そうではない。
そもそも場所選びに失敗したか、と比呂と目を合わせたが今更どうしようもない。
ここまで来たのだ。残りは半分くらいだ。

「ほら、ゆっくり深呼吸して。」




瀬崎に早川は任せて比呂と二人で少し離れたところの崖っぷちぎりぎりまで行ってみる。

「げ、この辺ってここまで高かったけ?」

比呂はおっかなびっくり底を覗き込んだ。

「どうだろ?俺も最近ここには来ないからなあ。来ても普通覗き込まないだろ。」

この辺は結構素通りしてしまう。

「だな。建物がちっちぇな。」

崖から視線を移したら、案外遠くのほうまで見えた。今日は天気がいい。

「ほんと。あ、あれ西高じゃない?」

見えるはずがないと思っていた高校まで見えて、思わず足を踏み出した。今自分がどこに立っているか、俺はすっかり忘れていたんだ。

「蓮!!!」

足元で砂の崩れる音がした。




2008/04/13
桜はもうだいぶ散っていますね。まだまだ続きそうです。

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