さくら


昨日の夜くらいから俺はうっかりしていた。

昨日の夜、課題が途中のまま風呂に入りそのまま続きもせずに寝てしまったり、そんな感じで寝てしまったものだから目覚ましもセットしていなかったし、 だから朝、高校生にもなって兄に起こされてしまったり、朝食の時にパンの上にジャムを塗ろうとして服の上に零してしまったから着替える破目になったり、 出かける前、ぼんやりして靴箱に足の小指をぶつけたり...。


とにかくうっかりしていた。それにそういえば、双子座の運勢は今日最悪だった。

『双子座のあなた!今日はとにかく注意してください!!どんなに些細なことでも、うっかりしていると大惨事を招きます!とにかく慎重に、石橋の上を叩いて叩いて叩き壊すくらいの用心をしてください。 それから、今日起こった出来事は後々の諍いの大きな火種になるでしょう。とにかく今日は用心して、なんなら部屋に引き篭もって出ないくらいの覚悟でいきましょう。』

いつも見ているニュース番組の占い担当のお姉さんは、内容とは裏腹にとってもいい笑顔でそんなことを仰っていた。

なんて不吉なことを言うんだ。せっかくの日曜日なのに。

俺はそう思ってた。何しろ俺は占いなんて信じないから。双子座なんてこの世にどれほどの人数がいると思っているんだ。
でも日曜日の朝っぱらからそんなことを言われたら、どれほど信用していなかろうと気分が悪い。



しかし、少なくとも今日の俺に関しては恐ろしいほど当たっていたことになる。






「蓮!!!」

ザザザァァァァ!!!!




俺は若干薄れ行く意識の中で、そういえば瞬は大丈夫だったのかなとぼんやり考えていた。




















「はい、では今日はここまでにしましょう。日曜日なのにお疲れ様でした。」

日曜日の午前授業。
毎週開かれていて、一日一教科。二時間くらいみっちりやる。今日は英語だった。

「綾瀬!」

片付けをしていた僕に、英語担当の教諭が呼びかけた。

「はい、なんですか。」

「綾瀬、優等生のお前が寝てちゃダメじゃないか。珍しいな。そろそろ疲れが出てきたか?」

教卓の前まで行くと、今日の授業態度を注意された。
今日は体調があまり良くないらしい。昨日は結構早くに寝たつもりだったんだけどな。

「すみません。大丈夫です。」

この学校はそもそも偏差値が高く、T大やK大なんかの合格率も割合高いほうだ。なので、生徒の意識水準も高く、授業中に居眠りをする生徒はあまりいない。
僕も普段は居眠りなんかしない。授業も面白いように工夫されているし、興味深い話をしてくださる教諭も多いので、寝ているともったいない。

「まぁ、体調管理もお前たちの義務の一つだぞ。」

「はい、すみませんでした。以後気をつけます。」

一礼して自分の席に戻ると、今度は何故か僕の席の周りに人が集まっていた。

「...何してんの。」

「お、瞬!お前にしちゃ今日の態度はおかしかったからよ、昨日何があったんだろうってみんなで探ってたんだ。」

にこやかに人の手帳を覗きながら、悪びれもせずに刑部雄太は言った。

「...へぇ〜。いい度胸してるじゃない。」

「あっははは!おまえ黒い部分出てるぞ!!」

人がせっかくすごんでるのに相変わらず雄太には効かない。周りは多少怯えた顔をしてるっていうのにいつもそうだ。 敵わない、とかは思わないけど、雄太も相当腹黒いんじゃないかと思う。普段はそんなことおくびにも出さないけど。
いつもおちゃらけて、みんなの中心に立っていて、なんていうか、ムードメーカーって言葉がよく当てはまると思う。 そのくせ頭もいいし、ふざけてる割りに頼られることも多い。

「うるさいな、人の手帳勝手に見ないでよ。」

その手帳は同じのが二つある。一つは学校の予定とか課題の提出日とかを書く用。もう一つはプライベートのことを書く用。 何故か手帳を覗き込まれることが多いので分けたのだ。

「でも、お前な〜んも書いてないのな。つまんねぇ。」

手帳を奪い取って、鞄に仕舞ってると雄太が言った。

「つまらないとかそういう問題じゃないでしょ。」

いつの間にか教室には僕たち二人だけになっていた。さっき僕がすごんだ時からみんな徐々に帰りだしていた。

「帰ろう。僕お腹空いたし。」

いつまでも雄太の相手をしてる訳にはいかない。午後からは予定があるのだ。蓮と遊ぶという大事な予定が。
僕は鞄を持って立ち上がった。雄太にも帰るよう促す。

「どうせあれだろ。また彼女だろ?」

「違うったら。僕は彼女はいてないよ。」

「彼女は、ねぇ。」

相変わらず性格の悪い男だ。みんながいるときは善人面し続けるくせに、僕と二人になったら途端にこうだ。
雄太は一目見て僕の本性を見破った唯一の男だった。同じ匂いがしたのだと言われた。
匂いなんかでバレるこっちの身にもなって欲しい。

「言い出したのはそっちでしょ。だいたいなんでいつも『彼女』っていうのさ。」

「だって『彼氏』って言うわけにもいかないだろ。どこで誰が聞いてるか分かんないんだし。」

「...今言っちゃったけどね。」

呆れて溜め息を一つ。

「今は誰もいないから安心しろ。溜め息つくと幸せ逃げるぞ」

僕の肩を軽く叩き、雄太は笑った。

「...誰のせいだよ。」

もう一度溜め息をついて小声で言ったが、これは先に靴箱に行ってしまった雄太の耳には届かなかったらしい。




















「蓮!!蓮!!しっかりしろ!!」

ふと気がつくと俺は比呂に抱きかかえられていた。



落ちたと思っていたのだが、足を滑らした先は一段低くなった場所にある少しのスペースの上だった。
この段差の下が、断崖絶壁になっていたのだ。

「...ひ、ろ?」

なんとか命拾いした俺は、びっくりしすぎて声の出し方を一瞬忘れていた。

「! 良かった、死んだかと思ったぞ!」

「...あ、ごめ...え、あれ?」

落ちたショックで気が動転してしまっているのか、現状を上手く把握できない。

「...よかった、びっくりした、よかった...」

「ひろ?...あ、いたっ!!」

強く抱きしめられた拍子に後頭部が痛んだ。

「あ、ごめん!!お前、落ちた時に頭打ったんだよ。そのせいで、一瞬気絶したみたいだから...」

比呂の目にうっすら涙の膜が張っているのを見て驚いた。

「...泣くなよ、比呂。大丈夫だから。」

「...ごめん、ごめん。俺のせいだ...」

「なんでだよ。今のは完全に俺のせいだろ。」

俯いて、顔を隠す比呂の髪をそっと撫ぜる。

「...いや、俺が、崖になんか近寄らなければ、お前は足を滑らせたりはしなかった。」

「そんなことないって。こういうのは大概起こるべくして起こるんだから。それよりもいつまでもこんなとこにいたら、足場崩れるかもしれない。上がろう。」

実際、最近降った雨のせいで地盤が緩んでいる。このままここにいれば確実にいずれ俺たちは二人揃って、この崖の下に落ちていってしまうだろう。

「...そうだな。」

先に比呂が立って、崖の上に上がる。そして、俺の腕を掴んで引っ張り上げてくれた。

「よっと。」

「...っと、うわ!」

なんとか無事に上がれたものの、俺はバランスを崩して躓いてしまった。
ほんとついてないな、今日。

「...大丈夫か?」

比呂は俺の後頭部に手をやると、そっと撫ぜてくれた。
なんだかいつもの覇気のないその手は優しく、そして、少しくすぐったかった。

「うん、平気。ほんともう大丈夫だから。」

笑って比呂の顔を見れば、なぜだか真剣な表情をしていて、目が逸らせなくなってしまった。

「...ひろ?」

そのままずっと俺の頭を撫ぜ続けていた。本当にこちらが泣きたくなるような切ない目で。




2008/04/28
なんとか形になりました。でも完結までは程遠い...。

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